2008年8月3日日曜日

8/3 Today 大宝律令完成(701)……これを維持しておけばよかった

大宝元年(701年)8月3日、ついに大宝律令が完成し、ここに律令国家が成立した。内容はほとんど中国律令(唐律)のマル写しだったが、これでようやく日本も「法治国家」となった。

特に班田収授法では、土地はすべて国家のものと定められた(農地は耕作する国民に与えるが死ねば国家に返す)。今の農水省が聞けば泣いて喜ぶほどのいい制度だったが、平安時代になるとこれが維持できなくなり土地に対する私権が蔓延って行く。イギリスなんかはいまだに「土地は女王陛下のもの」という感覚が強く残っているため公共事業などやりやすいが、日本じゃ成田空港建設反対運動や農民エゴによる農地の大規模化政策の挫折などを見てもいかに土地私権が強いかわかる。唐律のマル写しである大宝律令を堅持していた方がよかったのだろう。

律令制度が崩壊していく過程は辻邦生『西行花伝』にも哀れげに触れられている。時代が変わるときには、悲劇がつきものである。特に悪い方向に動いていくときは。

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辻 邦生

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4 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

班田収授法の精神は「耕す者に農地を」というもの。戦後の農地解放の精神もこれだった。現在、膨大な耕作放棄地が存在するが、その多くは所有権が細かく分割された「不在地主」が所有している。彼らのほとんどは耕作を続ける意志はない。だったら班田収受法の精神とまでは行かないにしても「農地解放の精神」に則って、政府が召し上げるべきではないのか。

匿名 さんのコメント...

同感です。農地開放で土地を召し上げられた側としては、厳しいはずの農地転用による宅地化などで土地成金となった彼らが許せない!
以下は98年の日経ビジネス誌「レターズ・読者から」へのわたくしの文章です。

5月4日号の視点「土地は公共財、私権制限が成長への道」の論旨に全く同感だ。
名だたるエコノミストや政治家が「我が国の公共投資額は欧米各国と比べて多い割りに効果が少ない」といった議論をしている。私は彼らが「他国に比べて地価が高い」という前提条件を忘れているのか、それを当然のこととして議論するのを日ごろ、不思議に思っていた。
高速道路をつくるときには、土地を持っている一部の人の利益のために、多額の税金が使われ、高額の通行料が徴収される。国はこういった社会のひずみを直ちに是正すべきである。少なくとも、先の戦争直後に農地解放で得た農地は、農業をやめる時に国の所有にするよう法を改正するのも一案ではないか。
国民全体から見れば一部の人の既得権でしかないのに政治が踏み込めないのは、一般市民から見れば不可解である。

*原文は<法を改正すべきである>としたが、編集者により<、、するのも一案ではないか>とマイルドな表現となっている

偶然にも今年はそれからちょうど10年になるんですナ!

Unknown さんのコメント...

農林水産省の統計によれば、日本の農家の農業生産額(金額ベース)よりも、農家の農地転用売却益の金額の方が大きくなっているという(全府県ベース)。もともとはただで(大根二本分ぐらいの値段で)貰った農地。使わないから返すという農家が現れてもよさそうなものだけれど、戦後のにわか自作農には矜持というものが希薄になりました。

匿名 さんのコメント...

10年たって(それ以前からみれば半世紀以上)なにも変わらず、変わる兆しもない。ただ慨嘆のほかなし。

前回のコメント、操作ミスで名前が切れてしまいました。失礼。